江國香織さんの食べ物描写の魅力
作家江國香織さんの魅力を食べ物の描写から読み解く企画第三弾です。
今回は直木賞受賞の短編集「号泣する準備はできていた」から
「手」と表題作である「号泣する準備はできていた」を紹介します。
ネタバレも含んでますので、まだ読んでいない方はご注意ください。
これを読んでさらに江國さんの作品を好きになってもらえたら嬉しいです。
手
指輪がすとんと抜け落ちてしまったことを妹に電話で報告することからこの物語は始まる。
姉レイコにとって、その出来事は老いや乾いた生活を連想させるが、これからデートで忙しい妹は「考えすぎ」といって、姉の男友達を家に向かわせる。
そして、妹からの派遣でやってきた男友達タケルは、きんきんに冷えたウォッカとおでんの材料を持参し、おでんをこれからふるまうという。
レイコは、スクランブルエッグを食べようとしていたことや、ウォッカとおでんの組み合わせなんて合わない、すじ肉で出汁をとるなんてくどそう、等たくさん文句を言います。
でも、タケルはどんな嫌味もお構いなし。
きっと自信があるのでしょう。
確かに、干からびて色のない孤独な世界に生きていると思われるレイコには、すじ肉がとろけるあつあつのおでんと、頭がとろりとする冷たいウォッカが必要な気がします。
そして、「チャンスだから。」と平気で言うタケルに困惑と抵抗を示しながらも、少しずつ流されるレイコがいます。
お互い恋人がいてもいなくても、ふいに電話をかけてきたり押しかけてくるこの男友達の真意がレイコも読者もわからないまま、話は進んでいくのですが、
おでんを食べることで、隠していたものが見つかってしまったかのように、明らかになります。
レイコが散々文句を言ったおでんですが、それは尖った気持ちのレイコと裏腹にレイコは身体をあたためやわらかくなるのを感じます。
「百年ぶりみたいなごはんだったわ。」
と言うレイコの感想に、タケルはすべてを理解し、自嘲ぎみに笑います。
それはレイコがまだ失恋を乗り越えていないことです。
レイコの身体を温めたという事実より、ずっと傷ついているという事実にタケルは打ちのめされている気がします。
恋愛感情だけでなく友情や同志など様々な感情がレイコに対してタケルはもっていて、そのレイコが他の男にそれだけ心を奪われていて、どうしようもないという事実を突きつけられたのではないかと思います。
結局、二人は何の進展もないまま、タケルは帰ることになりますが、
タケルが作ったおでんは、干からびたレイコの手に血色とつやをもたらします。
タケルが帰った後、レイコは部屋の空気を入れ替えたり妹に文句の電話を入れたりして、日常に戻ります。
前に進むことを拒むレイコですが、それでもタケルのおでんとウォッカでぬくもりと潤いを取り戻したレイコの身体。
きっとこれからも例え孤独であっても生きていくんだろうなと思わせてくれました。
干からびた身体を蘇らせるおでんとウォッカ。
一度食べてみたいです。
号泣する準備はできていた
小説家でお金が貯まれば旅行に行く暮らしを続けていた文乃は、旅先で出会った男と共に帰国します。
この人しかいない、と思って二人で旅を終えますが、やがて恋愛感情がなくなってしまいます。
それでも離れることはできずにいる現状です。
文乃は姪のなつめを週に1回ほどヴァイオリン教室に連れていき、
その後は一緒にフルーツパーラーに行く日課になっています。
寒そうにピーチメルバを食べるなつきは7歳だけどすでに眼鏡をかけていて
少し大人びています。
そのなつきを見て文乃はいつかパリで食べたフィッシュスープを食べさせたいと思います。
濃く熱いフィッシュスープ。
海の底の生命そのものの味がするような、骨にまで栄養が染み渡るスープ。
それを食べて強くなってほしいと願います。
いつか恋をする時思うさまに愛し、
愛されるくらい丈夫な身体と心をに育ってほしいと願います。
江國さんの作品に出てくる食べ物は、美味しいも健康も通り越していて
身体を作るのに必要なものとして描かれています。
身体が必要としていて、それを通してきれいに健やかになる。
恋愛に正直に生きているため孤独や哀しさと常に一緒にいることになる主人公が
それでも生きていられるのは、こうした身体に染み渡る温かい料理と出会ってきたからなんだろうと思います。
私も、いつかこういう料理を作りたいなと思います。
子どもが強く生きることができるような、辛い時に温めてあげられるような料理を。
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